禅定のための習作
4月になったらちょっと長いものを書いてみようと思う。
そのための練習として今こうして書き始めてみた。
4月、というのには特に何も理由はない。区切りがいいから設定したまでで全然今からその本番の長いものを書き始めてもいいのだが、ちょっとそれを書くにはある程度感覚というかテクニックが必要な気がするので、この文章を練習としている。
長いものを書くのは苦手だ。なんで苦手なのかといえばめんどくさいからである。
物語というのは短ければ短いほどいい、という信念もある。
この信念はボルヘス中毒というかコルタサル中毒というかとにかくあの辺のラテンアメリカの作家の短編を読みすぎたせいで生じたものだろう。
苦手なものは克服しなければならない、と思う。
でも同時に克服したからなんだ、とも思う。
「フィクションというものについてややこしく考えすぎだよ」
目の前に男が現れた。
身長174.2cm。体重67.2kg。
「そうかなあ」
「そうさ、君が書こうとしてるのはひどく単純なものだ。一本道を進んで崖に辿りついてそこで止まる、みたいな感じの」
「さすがにもう少し複雑なものを書くつもりだよ」
「書くつもりではあっても実際書けるかは別の話だ」
「ちょっとそこの二人、喋るのをやめなさい」
向こうから女が現れた。
身長169.4cm。体重51.3kg。
「これは私の物語だというのに」
「なんでだよ、最初から登場してなかったじゃないか」
「途中から主人公が現れるパターンもあるでしょう」
男と顔を見合わせた。なんて厚かましい女だ。
「まだ物語は始まってないよ」
「始まってるでしょ、こういう風に」
「こんなの始まりとは言えないよ」
女はノートとシャープペンシルを持っていた。
男の目の前にノートを広げると、読んでみて、と言った。
男は声に出して読んだ。
「4月になったらちょっと長いものを書いてみようと思う。
そのための練習として今こうして書き始めてみた。
4月、というのには特に何も理由はない。区切りがいいから設定したまでで全然今からその本番の長いものを書き始めてもいいのだが、ちょっとそれを書くにはある程度感覚というかテクニックが必要な気がするので、この文章を練習としている。」
この話そのものではないか。
「あなたがた二人の会話に割くページなんかないの」
「ページはないといっても今こうやって書き続けられている訳だろ」
「だからそれがもったいないの、私の話に割くページが減っちゃうでしょ」
「じゃあ全ページ数があらかじめ決まってるってことなの」
「そう、このノート2冊分」
ノート2冊はちょっと長すぎるような気がする。
とんでもないプレッシャーをかけられたものだ。
この女の話をこの女が満足できるように書き続けることができるだろうか。
頭を抱えていると外で大きな音がした。
ふと見ると赤い光が何度も点滅してこちらになにかメッセージを送っているかのようだ。
「ちょっと行ってくるよ」
赤い光にたどり着くまでには何時間も何年もかかった。
近くにいってみたらそれはただの車だった。
白いクラウンだった。
Nocturne
ある日、夜道を歩いていると向こうから女性がやってきて声をかけてきた。
「出刃包丁を売ってる店を知りませんか?」
私は知りませんと答えた。
ふと女性の方を見ると女性は髪からその着ている白いドレスまでが何やら緑色のドロドロしたものにまみれている。
僕が後ずさりすると女性は距離を詰めてきて言った。
「ロシア帝国領ウクライナのキエフ近郊の村に生まれる。両親はポーランド人であり、マレーヴィチにはウクライナ語で話し、ポーランド語で書き、後に習得したロシア語で活動を行うという語学的分裂が生まれたとされる。1910年頃には、ピカソなどのキュビスムや未来派の強い影響を受けて派生した、色彩を多用しプリミティブな要素を持つ「立体=未来派(クボ・フトゥリズム)」と呼ばれる傾向の作品を制作していた。その後の1910年代半ばに作風は一転し、無対象を主義とする「シュプレマティスム(絶対主義)」に達した。彼が試みたのは、精神・空間の絶対的自由であり、ヨーロッパのモダニズムと「未来派」はここに「シュプレマティスム」という到達点へ至った。彼は前衛芸術運動「ロシア・アヴァンギャルド」の一翼を担い、純粋に抽象的な理念を追求し描くことに邁進した。作品は『黒の正方形(カンバスに黒い正方形を書いただけの作品)』や『白の上の白(の正方形)』(白く塗った正方形のカンバスの上に、傾けた白い正方形を描いた作品)など、意味を徹底的に排した抽象的作品を追求しており、戦前における抽象絵画の1つの到達点であるとも評価されている。また、その前衛的主張ゆえにロシア構成主義に大きな影響も与えた。1920年代には、巨大建造物を想起させる『シュプレマティスム・アーキテクトン』シリーズという造形物を設計し構成。この頃、鮮やかな人物画を描くなどやや具象寄りの表現も行う。やがてスターリン政権下のソ連で美術に対する考え方の保守化が徹底し、前衛芸術運動が否定され、芸術家は弾圧された。「生産主義」に走った多くの同志たちと袂を分かち、マレーヴィチは一介の絵師として写実的な具象絵画に戻り、その一生を終えている。抽象絵画において最も極限まで達していながら、最終的には、ありふれた具象絵画に戻ったというマレーヴィチの生涯は、政治に翻弄された美術家の姿の典型かもしれないという言い方がされることもあるが、一般には白紙という究極の抽象に達したマレーヴィチには具象への回帰以外に芸術を続ける道がなかったのであるという評価がなされている。また、一見具象に戻ったように見える彼の作品も、それは見かけであり実際には主題の欠如(対象が描かれない)など独特の表現を含んだ非具象画であったとも言うことができる。」
カジミール・マレーヴィチのWikipediaの概要欄だ。
と僕は瞬時に思った。
最終更新日時が2022年3月3日 (木) 03:26 の記事だ、とも思った。
女性は懐からバタフライナイフを取り出して僕を刺した。
ドロドロとした血が流れた。
僕は大量に血を流したが、死ななかった。
女性は去っていった。
その後ろ姿を見て少し寂しさを感じた。
Dear A
三人目がきた。
二人目まではよかったけど三人になるときつい。
僕は滅入ってしまって、ここから出ていこうかと思ったけれど二人目が「待って、まだここにいて」と引きとめた。
「三人目は無理だよ」
「なんでよ、最初にそういう契約したじゃない」
「契約はしたけど、このまま二人でもやっていけるかどうか怪しいのに三人目は無理だろう」
「頑張ろうよ、ね?ね?」
「うーん」
僕は渋々三人目を受け入れた。
二人目は喜んで三人目と仲良くなろうと努力した。
でも三人目は全然しゃべらなかったし、なにしろ自分が置かれている状況に気づいてないらしかった。
「ほら、駄目だろう?」
僕が二人目に声をかけたそのとき三人目はついに口を開いた。
「ここはどこ」
二人目は嬉しそうに答えた。
「胎内」
「なんでこんなところに」
「新しい生命だから」
「私が?」
「そうあなたが」
「荷が重い」
三人目が出ていこうとしたので二人目と一緒に引きとめた。
僕はため息をついて二人目に宣言した。
「やっぱり僕が出ていくよ、それが順番だから」
「さみしい」
「仕方ないだろ、僕たちが契約したときとは状況が違うんだ」
「一緒に行くのは駄目?」
「三人目の面倒見てあげないと」
僕は出ていった。
外は広かった。五感が洗練されていくのを感じ、そのあまりに豊潤な刺激が僕の胎内での生活をほとんど忘れさせた。
どこかから泣き声が聞こえた。
僕も反射的に泣き出していた。
大きな人間
僕はまだ小さな人間で、大きな人間になるのにはまだまだ時間がかかるのだろうけど、そんなことを言い出したらあそこにいるあいつや僕のすぐそばで株取引について弁舌をふるっているこいつだって、大きな人間になるにはまだまだ時間がかかるに違いないのだ。
真夜中に散歩するのが好きだ。
真夜中の街灯の下のはかならず大きな人間がいる。大きな人間は僕が通り過ぎようとすると決まってこう言うのだ。
「マッチ棒いりませんか?」
もちろんそいつは少女じゃない。れっきとした大きな人間である。
僕は絶対それを断ることにしている。断らないとぼったくられるからだ。
小さな人間にぼったくられるのはいいが、大きな人間にぼったくられるのは嫌だ。権力の差を見せつけられてる気がするから。
断ると大きな人間はしょんぼりする。そのしょんぼりっぷりときたら街灯がチカチカしはじめるほどで、要するに大きな人間の感情というのは電気系統に大きな損傷を与える。
「なんでいらないんだい?」
僕はその質問には答えない。黙って少し早足で遠ざかり、大きな人間が急速にしぼんでいくのを、その際の叫び声がだんだんと弱弱しくなっていくのを、あえて確認もせずに、「僕もいずれはああなるのだろう」という根拠のないあきらめとともに街路を歩んでいく。
僕はこの時間がたまらなく好きなのだ。
さっきの奴隷
そうじゃない、そうじゃない。
もっと指をまげて勢いよくやらないと。
さっきの奴隷の方がうまかったよ?
ああ、そこはゆっくりやらないと。
肩の力を抜いて、集中して。
さっきの奴隷みたいに大けがしちゃうから。
気をつけてやってください。
まだ足りてないようならそこの隅の箱から出してください。
さっきの奴隷は事前に大量に用意してたよ。
よし、そうそう、2個できたね。
そしたら棒に差してください。
さっきの奴隷は絶対差さなかったけど。
何回言っても差さなかったんだよ。
奇妙だよね。
さっきの奴隷はとても反抗的だった。
だから嫌いだったんだよね。
オーデコロンとかつけてたし。
さっきの奴隷はおしゃれに人一倍敏感だったんだよ。
でも棒には差さなかった。
恥ずかしくないのかね。
さっきの奴隷曰く
「棒に差さない方がカートコバーンみたいでかっこいい」
祝福
モクレン咲き乱れる頃、私はあなたを待っていた。
ずっと待っていたのだけれどあなたが一向に来ないので待ちくたびれてしまって私はJR横浜線鴨居駅までお迎えにあがったのです。あなたは驚いて私になにをしにきたのか聞いたけれど、それはあなたもよくわかっているはずです。私はキーホルダーを見せました。小さいクマのプーさんがぶらさがっているキーホルダー。あなたはそれで全てを理解しましたね。ゆっくりと土下座の姿勢になりバッグから取り出したポカリスエットを自ら頭にかけ始めましたね。それでいいのだ、と私は思いました。次にキャノーラ油を取り出して、両手に受け、それを顔全体に塗りたくりはじめましたね。これはいけません。ルールに従っていない。上りの電車が発車してそのあと一瞬静寂が訪れました。本当は私はこんなところまで来たくはなかったのです。あなたがとっとと私のもとに来るべきでした。どこかでカラスが合唱を始めました。私には妻がいる。もうすぐ小学校に上がろうとする娘がいる。あなたにちゃんとしていただかないと彼女たちは泣くことになるのです。私は小さくため息をついてあんぱんをあなたに与えましたね。あなたは急いでかじりついて、私に祝福を求めましたね。お年を召したご婦人が「なにしてらっしゃるの?」と尋ねました。私はご婦人に祝福を与えました。あなたはその場で土下座の姿勢のまま動かなくなった。私は疲れたので帰ることにしました。帰り際マクドナルドでチーズバーガーを4つ買いました。家では家族が待っています。私が笑顔で帰宅するのを待っています。
破談
窓の外では雪が降っていた。
野田は風船を膨らましおわると私に手渡し、外に出て行った。
「手袋持ってる?」
私が聞くと野田は首を横に振った。
私はひとつ溜息をついてポケットから赤い毛糸の手袋を取り出し野田に手渡した。
「使えよ」
「嫌だ」
「使えったら」
「嫌だ、絶対に嫌だ」
野田が頑なに拒否するので私は激昂し
「手がかじかむだろうが!!」
と叫んだ。
野田は渋々両手に手袋をはめ外に出て行った。
私は椅子に座りダージリンティーを飲み干すと野田との出会いを思い出していた。
氷点下になりかけたある冬のことだった。
横断歩道で信号が変わるのを待っていたら野田に話しかけられた。
「やあ、第二部隊の人だよね?僕は野田っていうんだ」
野田はそのころはまだ髪が生えていて両目ともきちんとついていたし、鼻も耳も削がれていなかった。
「君はどこの部隊?」
「第四部隊。雑用ばっかりの隊だよ」
私はキャンプまでこの男と歩くのかと思うと少し嫌だった。
出勤の時間は私にとって神聖な時間であり誰にもそれを邪魔されたくなかった。
「第四部隊といったら佐野さんがいるね」
「佐野さん!僕の直属の上司だよ」
野田は饒舌に隊員内で呼ばれている自分のあだ名や佐野さんがコーヒーをおごってくれたこと、佐野さんが別の隊に異動になるので盛大なパーティを開いたことなどを述べた。
キャンプのそばにあるローソンにつくとちょっと買い物あるからと野田は中に入っていった。
私はひとつ溜息をついて空を見上げると雪が降り始めていた。
そしてキャンプ内から警報が聞こえてきた。
開戦の合図だった。